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幸せの条件

昨日は奈良・薬師寺の執事、大谷徹奘さんの法話を聞きに高輪区民センターへ。

テーマは「幸せの条件」

イメージはおじいさんのお坊さんで、お経を聞いてるみたいに眠くなっちゃうだろうな。

と思って行ったんだけれど、出てきたのはまだ意外とお若い方で驚きました。

 

メモくらい持っていけば良かったのに、小さいバッグで出かけたので、

何にも持っておらず、仕方なく苦手なiphoneのメモ機能でメモ。

だいぶ端折ってあるけれど、備忘録がてらブログに書いておきます。

 

お経の中にある、幸せを定義づける4つの漢字に、

身 心 安 楽(しんじんあんらく) があり、

目に見えるもの「身」、目に見えない精神「心」

身体が楽なことを楽ちん(楽身、が由来の言葉)、心が安らかなことを安心といい、

両方のバランスが取れていることが幸せ。

 

人の不安の心の種は人間関係と健康にあり、

これらが悪くなると幸せでなくなる。

人はそれぞれ価値観の物差しを持って生きているから、

その目盛りの幅が違う人とはなかなか相容れない。

 

どんなに愛していても、血がつながっていても、同じ志を持っていても、

人間は持っている価値観が違うからぶつかることは避けられない。

ぶつかったら物差しが違うから、まず言葉に宿る魂を聞き、言葉の後ろの

人格を考える。

自分の価値観は正しい、でもそれ以外を受けとめる心が必要。

 

人と人とは「よっぽどの縁」がなければ出会うことも家族になることも、

同じ職場で働くこともないもの。今ここにいることの縁を大切に。

 

最後に大谷さんの師匠である高田好胤さんが残された

「かたよらない心 こだわらない心、とらわれない心、

 ひろくひろく もっとひろく  これが般若心経 空の心なり」

 

を復唱しておひらきになりました。

眠るヒマもないくらい真剣に聞いたあっという間の90分。

「幸せ」ってそっかそっか~と納得することばかりだったので、

もっと上手にまとめられたらいいんだけど、何しろ記憶媒体が少ないもので。。

「よっぽどの縁」という言葉も夜には忘れちゃって主人に「なんだっけ?」と聞く始末。

機会があればぜひぜひ本も。

「修」しながら「行」むから修行という

「修」しながら「行」むから修行という